医は仁術

こんにちは、谷村歯科医院の谷村です。

先日、国立科学博物館の特別展『医は仁術』を見に行ってきました。
江戸の医学についての知識を深めることができましたよ。
私は趣味でよく博物館や美術館に行きます。
今回は歯科医学に関係がありそうなので興味があり早速行ってきました。
江戸時代の医学はどのようになっていたのでしょうか?
江戸後期に西洋医学が入ってくる前は日本の医学は昔から中国の影響を強く受けていました。
実際の臓器などの人体の構造はあまり重要視しておらず、どちらかというと目に見えない物、『気』を重視していて、この調和が崩れた状態を『病気』と言っていました。
医者が診察して診断後は患者の症状や状態に応じて薬を調合して処方していました。
この薬は日本の薬草を用いたものや、中国から伝わった漢方薬などがありました。
また針や灸などがポピュラーな治療方法で、それ以外にも医学とはいえない祈祷なども盛んに行われていました。
さらに漢方医学として中国の13世紀ごろの医学が取り入れてられていました。
江戸時代で有名な医学の出来事といえば『解体新書』でしょうか。
ドイツ人のAdam Kulmusが記した『ターヘル・アナトミア』のオランダ語訳を手に入れた前野良沢と杉田玄白が、江戸の死体解剖の際にこの本の図と実際の臓器の状態を照らし合わせたところ、ものすごく正確だったのでとても驚いたそうです。
このターヘル・アナトミアを4年かけて日本語に訳した解体新書が、我が国の初めての西洋医学書といえます。
山脇東洋が日本で初になる人体解剖を行い、その後人体解剖が各地に広まりました。
1804年(文化元年)に華岡青洲がなんと世界初になる全身麻酔下での乳がん摘出手術を行いました。
そして1823年(文政6年)にドイツ人医師のシーボルトが来日して最新の西洋医学を日本に伝えました。
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医は仁術とは、「医は、人命を救う博愛の道である」という格言で、江戸時代に盛んに用いられたそうです。
また『仁』とは儒教から来ていて、”他を想う心”だそうです。
仁は身分制度が厳しかった江戸時代においても、身分の上下関係なく誰もが持つべき思想とのことです。
 
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様々な難病を治療する様子が描かれています。真ん中の絵は歯を抜いているみたいです。
昔は歯が痛くなると抜くしかなかったのでしょうか?
江戸時代やもっと前の時代は抜歯のときに麻酔はどうしたのかとても気になります。
基本的にはこの絵に書いてあるように鉗子で力任せに歯を抜いていたみたいです。
麻酔らしい麻酔も無いので、「せ~の!」でいっきに抜いていたそうですよ。
しかしグラグラの歯ならともかく、そこそこしっかりしている歯はなかなか抜けません。
顎の骨というのは人体の骨の中でも一番硬いので、少しでも歯の根が引っかかっているとなかなか取れないのです。
この棒を歯に当てて、木槌でガンガン叩いて抜歯もしていたそうです。
つくづく江戸時代に生まれないでよかったと思いました。
 
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これは江戸時代の入れ歯です。黄楊(つげ)の木でできています。お歯黒用なので歯の部分が黒いです。
当時の日本の入れ歯は世界で最も優れていたとのことです。
入れ歯作りを専門とする『入れ歯師』という職業があったそうです。
現代では入れ歯を作る際は、歯の型をとって模型を作ってそれをもとに作っています。
江戸時代でも蜜の蝋を用いて顎の方を取っていたそうです。
当時の入れ歯は顎にピッタリ吸い付く精度があったとのことで、日本人の器用さには驚かされます!
今回の特別展を見に来ている人は年配の人ばかりかと思っていましたが、意外にも学生や若い人も多かったです。
しかし、若い人をよく見るとみなさん医科関係の人みたいでした。
医師や医大生たちでしょうか?